アルケミラの小部屋

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アルケミラとイセスのこべや その50

 惣倉・明。

 カタリナに紹介された少女の名である。イセスもアルケミラも初めて聞く名である。
 年の頃はイセスと同じくらいであろうか。ふっくらと柔らかい稜線を描く顔(かんばせ)と
 体つきが少女の柔和な雰囲気をさらに強調してた。雑踏を時折吹き抜ける夏風に、
 白光の中では見失うほどに白い髪が揺れる。初めて目にする彼女に戸惑うイセスと
 は対照的に、彼女は現れたイセスに興味津々といった体だった。物怖じせずにまっ
 すぐに、初対面の相手を見つめる少女は。

 どこか、記憶の底にしまい込んで伏せた少女の面影を感じさせる―――マリアに似
 た少女だった。


 「ゴーストタウンで助けてやった。能力者だ」
 「!」


 言葉少なに、少女との出会いを語るカタリナの言葉に、イセスの五感が瞬間、機能を
 失った。粘つく湿気に汗ばむ肌の感触も、目の前の二人を見つめる視覚の色も、人ご
 みの奏でる音を聴く聴覚も、用を成さない。今、復讐の鬼と化した筈の女性は、なんと
 言ったのか?
 
 心を揺さぶったのは単純な感情の発露ではなかった。彼女がまだ、人らしい情念を有
 していたことへの歓び。誰かを助けるという義侠と友愛の精神を失っていなかったこと
 への喜び。そして、無意識に、もう昔へは戻れぬ彼女を果てしなく遠くへ追いやってし
 まっていた自分の無神経さへの恥辱と、諦観の早さへの憤怒。
 絡み合い、複雑さを増す感情の重さが、ほんの一瞬だけイセスの顔を翳らせる。心臓
 に緩やかに杭を打たれる様な幻痛を味わいながら、しかし、彼は小さく息を吐くと、表
 情を切り替えた。


「―――そうだったんですか」


 浮んだ微笑は心の底からの微笑だった。己の煩悶など、後でいくらでも振り返り、省み
 ることが出来る。今はただ、彼女がまだ誰かを助けられたことを、そして誰かが救われ
 たことを寿ごうではないか。それは彼女の中に残されたものが、復讐の二文字でないこ
 との顕れなのだから。今日初めて、否、カタリナと再会してから初めて、イセスは彼女の
 前で晴れやかな笑みを浮かべることが出来た。


 「私は忙しい。何かあったらこいつを頼れ」
 「は、はぁ」


 初対面の少年にいきなり自分の身を預けられ、戸惑う明。困惑に揺れる瞳に頓着せず、
 カタリナは「自分の役目は終わりだ」とばかりに腕を組み、静観を決め込む。自らが助け
 た相手への扱いとしてはあまりにもな仕打ちと言えよう。先ほどの微笑を微苦笑に変え
 ざるを得なかった。しかし、それでも、彼女は確かに、目の前の少女を助けたのだ。
 それは、地獄に一筋の光明を見い出したに等しい、救いだった。


 「初めまして、惣倉さん。カタリナさんの遠い親縁で
  銀誓館生のイセス・ストロームガルドです。お会い出来て嬉しいです」



 静かに前に一歩、踏み出てイセスが右手を差し出した。ありふれた言葉に込められた、
 万感の思いは、まだ出会って間もない少女には伝わるまい。それでも、イセスは思わず
 にいられなかった。運命の糸が紡ぐ綾目の人模様の数奇さを。
 彼女とカタリナが出会わなければ、イセスたちは危うく、古い友人の“人間らしさ”を知ら
 ぬまま、過ぎ去った刻の無情さを嘆いていたのだろうから。

 人は時と共に変わりゆく。それは時に目を覆うほどに、幸せだった過去を打ち砕く。だが
 それでも、その変わりゆく先に待つのは、ひたすらに悲しく虚しいものだけではないのだ
 と。夥しい数の不幸に見舞われようと、そこに一片の救いもないわけではないのだ。世
 を呪い、生を捨て去り、言われるがままに動き、誰彼の為にのみ生きて死ぬ筈だった元、
 人形(マネキン)の少年は、再び、明日を信じた。己のではない。カタリナの明日を信じた。


 「ええっと……」
 「?」

 少しばかり、思索に耽っている時間があった。意識を戻した彼は、僅かに気が逸れた
 ことを謝ろうと思い、そこで違和感に気づく。対峙した少女は、未だこちらの手を握り返
 してはいなかったのだ。疑問と共に、視線を少女の顔に向ける。そこには明確な戸惑
 いの色があった。

 差し出された右手はいつまでも握り返されない。何か、目の前の少女の機嫌を損ねる
 ことをしただろうか? そうイセスが訝しむも、目の前の相手の様子はどうもそうとは思
 えない。異性との握手を恥らっている様子にも思えない。ただ、差し出された右手に、
 「どう反応を返していいのか」わからずに面食らっている風に彼には思えた。
 欧米人、正確にはドイツ人である彼には、いまや国際的になったこの挨拶に戸惑われ
 る理由が、とんとわからない。忌避感を示されるのであれば敏感に察知できよう。さり
 とて、そうではないのだから。


 「多分だが握手は知らん」


 小首を傾げるイセスの上に、横合いから、ひどく億劫そうにそんな言葉が投げかけられ
 た。そちらを見るイセスの視線に応えるのは、「これ以上は何も喋らず」と頑なに瞳を閉じ
 たカタリナの姿だった。カタリナの言葉を継ぐ様に、目の前の少女は少しだけ申し訳なさ
 そうにはにかみながら告げた。


 「すみません、世事に疎くて……」
 「ああ、なるほど。こちらこそすみません」


 言わんとするところを理解し、何ほどのこともない、とイセスは笑ってみせる。銀誓館に
 集う少年少女は実に多種多様な人生を歩んでいる。その中には「座敷牢に幽閉されて
 いた」などと言う経歴も存在するのだ。現代の常識に関して異様に疎い人物も居るだろ
 う。すぐにそのことに思い至り、イセスは知らず、常識の振る舞いを相手に求め、理解を
 当然のものとしていたことを謝罪した。

 ――横合いから、投げかけられた言葉が、またひとつ、希望を生む。

 彼らの古い知己は、余人に完全に無頓着になったわけではないのだ。それなら、それな
 らば、彼女に信を以って預けられた彼女に、某かを伝え、苦境を助けるのは彼らの役目
 だ。そして、「完全に自分任せにさせない」ことが、彼女を少しずつ変えていける手段とな
 ろう。他者とのふれあいは、きっと彼女の凍てついた心を溶かすだろうから。
 かつて、前すらも見れなかった少年は、前を見据える様になった心とまなざしで、静かに
 自分の胸に誓った。ならば、今、彼がやるべきことは。


 「これは、握手というもので、お互いの手を握り合って
  『これから仲良くしましょう』と示し合う、挨拶なんです」



 目の前の少女に、まず、この挨拶の意味を教えることだ。朗らかに手を打ち、説明に納得
 した少女が、物怖じせずに右手を差し出し、此方の手を握り返してくるまで、そう時間はか
 からなかった。

 一人の女性を、絶え間ない復讐の地獄から、その淵へと引き止めた、少女の小さな手の
 ひらは、温かく、柔らかな、ありふれた少女の手のひらだった―――。
 

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