アルケミラの小部屋

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アルケミラとイセスのこべや その49

 陰鬱な空模様が晴れ、久しぶりの晴れ間が覗く。

 夏の照りつける日差しも常日頃から目にしていれば気も滅入ろうものだが、 季節
 らしからぬぐずついた天候続きの最中に見たとあっては感動もひとしおである。
 薄く雲のたなびく青空を見上げる人々の顔は、容赦なく照りつける陽光に辟易しつ
 つも、どこか晴天の様相にも似て明るい。

 『イセス、そろそろ時間だよ』
 「――――うん」

 しかし、差し込む白光に目を細める姉弟の表情は、行き交う人々とは逆に深く静か
 な重さに彩られた、薄曇の陰鬱なものだった。二人して出かけねばならぬ所用があ
 ると言えど、久方ぶりの夏日和に暑さを理由に気を重くするほど風流や風情を介さ
 ぬ訳ではない。今から会う人物が相手でなければ、二人も市井の人々以上に顔を
 ほころばせ、朗らかに真夏日を愉しんだ事であろう。

 さもあらん。今から二人が会わねばならぬ相手は、誰あろうカタリナなのだ。昔日の
 面影をなくし、正気すらも失いかねない狂気を復讐心というより強大な負の感情で覆
 い尽くした彼女が、かつては淡い微笑みの似合う深窓の令嬢であったなどと、誰が信
 じよう。他ならぬ古い知己である姉弟ですら未だ信じ難いのだから。

 眩い陽射しに瞼を閉じれば、今でも思い出す。古風なドレスの似合う年上の少女の、
 世の幸福を信じて疑わぬ純真な微笑みを。甘やかな懐旧に浸っていられる時間はほ
 んの僅かばかり。灼熱の陽光が肌を刺す痛みは、より強い心の痛みに掻き消されて
 ゆく。知らず、道ならぬ恋に堕ちていた彼女を襲った無惨な現実を思えば、姉の心は
 その無情さに軋みをあげ、その元凶を思うたび、弟の胸には澱の様に深く沈んだ怒り
 が静かに甦る。どちらともなく、姉と弟はため息をこぼした。タイミングが図らずとも合っ
 しまったのは、姉弟の絆の深さを思わせる。


 「―――行こうか、姉さん」
 『うん』


 たとえ、どれだけ変わり果てたとしても、彼女は古い知己であり、親族から面倒を頼
 まれている相手なのだ。それを抜きにしたとしても、血を捨てたとは言え、元貴種の
 令嬢である。彼らが手を尽くして協力を惜しまないことは当然と言えた。何より、知己
 の一大事に黙っていられる性分の二人ではない。カタリナからの急な呼び出しを受け
 たとは言え、それがどれほど急であれ、用件のわからぬものであれ、呼び出されるこ
 と自体には些かの気鬱もない。姉のイグニッションカードの中にしまい、玄関で靴を履
 き、外に出る。一瞬目の前が白に染まるほどの鮮烈な眩しさが肌を焼き、深い黒瞳を
 細めさせる。肺腑に滑り込んで喉を征く外気の、湿気を含んだ暑さにたちまち汗の珠
 が白い肌の上を滑る。しかし、そんな身体の生理に頓着をさせないほどに、イセスの
 心は重かった。

 夏の日差しは、故郷でも、この異国でも、今も昔も変わりはしない。しかし変わりゆく
 ものの、喪われたものの大きさを思えば、流れ続ける時の残酷さに、ただ、ただ……
 痛みを伴う虚ろさを覚えずにはいられない。姉弟の憂鬱さは、つまるところ、その点に
 尽きた。



 夏の熱を吸い、湿気を含み、長い黒髪が重さを増し、汗ばむうなじに幾筋かの髪を張
 りつかせながら、待ち合わせの場所まで歩く。雑踏を行き交う人々に浮ぶ、暑さに辟
 易しながらも夏らしさを歓迎する爽やかな面持ちが鈍るイセスの足取りを少しばかり
 軽くする。以前は市井の人々に紛れていても、その表情にまで気を配ることのなかっ
 少年の、今の姿を見れば、故郷の親類は目許を綻ばせたことだろう。ほんの一年にも
 満たない時間で、彼の笑顔は変わった。色鮮やかな少年らしさを取り戻したと言えよ
 う。過ぎ行く時は、何も試練ばかりを人々の上に課すものではない。こうした喜ばしい
 変化を運ぶこともある。彼自身がそれを痛感しているからこそ……今回の件がたまさ
 かに堪えているのかもしれない。

 目指す待ち合わせ場所にあと少しまで差し迫った折、イセスは足を止めた。舗装され
 た路面から立ち上る陽炎に目がくらんだわけではない。ましてや、陽炎の中に浮ぶ件
 の人物、カタリナに在りし日の面影が重なったわけでもない。意外なことに、カタリナの
 傍らに人影があったからだ。背の高さはイセスとそう変わらない。さらに長身のカタリナ
 を口説いているというわけではなさそうだ。暫く見守ってみるが、離れないところを見る
 となると、路を尋ねられたのでもないらしい。予期せぬ不意打ちであった。


 「カタリナさん」
 「来たか」


 近づき、声をかけるイセスの目に映るのは褐色の肌と黒髪の女。そして、雪化粧の如
 き白の髪と緋の瞳をした一人の少女の姿であった――――。

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